阪東橋駅をめぐる

市営地下鉄阪東橋駅を出ると横浜橋商店街のアーケードが見える。
バマのアメ横“と呼ばれるだけに、品物の豊富さと安価に驚かされる。
まずはここでお弁当をケットしよう。
横浜橋商店街を抜けると、中村川に架かる三吉橋のたもとに、三吉演芸場が見えてくる。
1930(昭和5)年開業の常打ち芝居小屋だ。
主流の舞台は芝居と歌、踊りの三部構成だが、時には落語、浪曲などの色物を加え、その存在を誇っている。
地元在住の桂歌丸も年に数回出演し華を添える。
橋を渡ると、左手には近辺住民の氏神様である中村八幡宮がある。
八幡様を後にし、勾配の厳しい坂・狸坂を上りきると唐沢公園に到着する。
ここから眺める景観は見事で、特にみなとみらい21地区の夜景は横浜一と賞賛されることもある。
ここで一休みしたら、山元町商店街まで下りの道だ。
かつては競馬場への通り道としてにぎわった町だが、現在は寺町への道として、彼岸・盆時には多くの人々が行き交う。
しばらく道なりに歩いて行くと根岸森林公園に行き着く。
元は競馬場であるこの場所は1977(昭和52)年に現在の公園として開園し、ウメやサクラなど季節の花と緑の芝生で多くの人の憩いの場となっている。
●中村八幡宮の参道登り囗に、1874(明治7)年の近代測量による地図作成が行われた際の基標がある。

伊勢佐木長者町駅をめぐる

伊勢佐木長者町という駅名は、近くにある伊勢佐木町商店街と長者町という地名から付いたといわれる。
現在地下鉄の走っている所は、かつて吉田川、新吉田川を埋め立てて造られた大通り公園。
駅の壁には「橋の詩」という、運河たったころの橋名が刻まれたレリーフが設置され、水上交通がにぎやかだった時代をしのぼせている。
平たんなバス通りを長者町3丁目からIT目へ向けて歩くと、前方に優美な陸橋が姿を現す。
これが打越橋だ。
関東大震災の後、市電を開通する際に山手の丘が掘り下げられ、架けられた橋である。
アーチ状の鋼鉄、桁橋と両側にそそり立つ石垣の美しさは堂々とした景観美をつくり出している。
橋をくぐり、右折すると山元町商店街だ。
かつて根岸森林公園が競馬場だったころ、明治天皇が競馬観戦に行幸の折、お通りになったといわれる。
さて、根岸森林公園に着いた。
競馬場だったころの面影を残しつつ、現在は緑の多い、市民に愛される公園となっている。
芝生に寝転んで緑の風をいっぱい吸い込もう。
●中華義荘は、市内に4ヵ所ある外国人墓地の一つ。

三ツ沢下町駅をめぐる

三ッ沢下町駅を出て国道を反町方向に向かい、島田橋の信号で左折し古道へ。
滝の川を挟み田園が広がっていた三ッ沢を貫くこの豊顕寺道を行く旅人は鶴亀橋を渡った。
1627(寛永4)年に架けられた橋の青銅製の擬宝珠は市の登録文化財。
大正初期、川を見下ろす丘に大洋幸次郎・幸雄父子が「横浜ガーデン」を公開。
橋もガーデン橋と変わり、擬宝珠の下部に名残がある。
無料公開された「横浜ガーデン」は温室や花壇で草花を栽培。
現在のガーデン山住宅の中央は当時の庭園の一部で、樹齢120年のヌマスギが残る。
島田橋からは三ツ沢せせらぎ緑道を行く。
しっとり濡れた崖下沿いの道を涼風が吹き抜ける。
地下鉄のわき水を利用した緑道に、夏の夜空には三ツ沢小学校の子どもたちが大切に育てたホタルが舞う。
門前橋を渡ると豊顕寺だ。
三ツ沢談林といわれた学問寺は、16世紀前半に多米氏が菩提寺として三河国多米村から移した古刹で境内のイチョウの大木のそばに一族の墓が4基、祀られている。
幕末には植物(ンターのフォーチュンが訪れ、著書でも紹介している。
後はバス便が多い三ツ沢公園へ。
●古道をたどりながら幕末から戦後に続く歴史を感じられる、起伏は多いが緑濃いコース